大衆芸能編 寄席

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講談の歴史

人気を集めた講釈師

観客を抱腹絶倒させる辻講釈(つじこうしゃく)を行った、深井志道軒(ふかいしどうけん)に続いて現れた人気者が、馬場文耕(ばばぶんこう)でした。しかし、幕政を批判したために死刑になりました。森川馬谷(もりかわばこく)は、前座を使うことなど、講釈の形態や基盤を整えることに貢献しました。

『風流志道軒伝』(早稲田大学図書館所蔵)ヘ13_01791

『風流志道軒伝』
風来山人 著
宝暦13年(1763年)刊
滑稽な身振りで世相を風刺する深井志道軒の人物像を、平賀源内は風来山人のペンネームで小説に仕立てた

享保期(1716年~1736年)に霊全(りょうぜん)に学んで、同じ浅草寺(せんそうじ)境内で辻講釈を行ったのが深井志道軒でした。彼は僧侶から講釈師になったため知識が広く、時には厳粛に、時には痛烈に朗読し、皮肉を言ったり、ユーモアを交えたりもして観客を抱腹絶倒させました。あまりの面白さに、観客はその場から離れようとしなかったと伝わっています。

次に現れたのが馬場文耕です。この人も1度は仏門に入りましたが、還俗(げんぞく:僧侶になった者が俗人に戻ること)して、ついに講釈師になりました。宝暦7年(1757年)には、現在の東銀座などに講釈場を設けて演じています。毒舌を得意とし、人気が高かったのですが、幕府が処罰を決めかねていた事件を口演して自分勝手な採決を下し、幕政を批判しました。その上、本にまとめて売ったため死刑となりました。

森川馬谷は、講釈場の伝統的な看板やビラの書き方を始めた人です。また1日の読み物を軍書物、御家騒動[大名の家督争いや家臣の権力争い]、世話物の順で区別して読むことや、前座を1人使うことも始めました。ここにおいて江戸の講釈界の形態、基盤が整いました。

注釈:前座とはもともと、説教をする僧侶の前に出て話をする役割の者を指しました。しかし現在は、芸人の階級制度のことを示し、寄席が始まる前や最初に観客を和ませる役などを担っています。

辻講釈(つじこうしゃく)

野外で軍談などを聞かせて、聴衆からお金をもらうこと

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