大衆芸能編 寄席

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奇術の歴史

西洋奇術との出合い

明治時代には西洋奇術が盛んになりました。松旭斎天一(しょうきょくさいてんいち)は手妻(てづま)と西洋奇術とを演じて大劇場に進出し、海外公演も行いました。天一の弟子の初代松旭斎天勝(しょうきょくさいてんかつ)も大スターとなり、水芸は女性が演じるものというイメージを定着させました。

『奇術米国 ウヲッシ・ノアトン社中』 アメリカの奇術師、ワシントン・ノアトン一座が明治21年(1888年)に奇術興行をしたときの様子

『奇術米国 ウヲッシ・ノアトン社中』
アメリカの奇術師、ワシントン・ノアトン一座が明治21年(1888年)に奇術興行をしたときの様子

辻ビラ『世界無比大奇術』 明治44年(1911年) 明治座

辻ビラ『世界無比大奇術』
明治44年(1911年) 明治座

鎖国が終わると、外国の奇術師が来日して公演するようになり、日本の手妻師との交流も増えました。また明治政府は西洋の文化を積極的に取り入れようとしました。こうして手妻師は西洋奇術の種仕掛けを取り入れた新しい手妻を演じるようになったり、西洋奇術師へと転向したりするようになりました。

このような流れの中からスターとなったのが松旭斎天一です。水芸は江戸時代から続く純粋な手妻ですが、天一は洋装で演じて好評を博しました。そして手妻とともに西洋奇術も演じて人気を取り、大劇場へ進出を果たします。その後、女性の弟子の天勝と欧米で公演を行い、帰国後、海外で仕入れた演出や仕掛けを使って歌舞伎座で華々しく凱旋(がいせん)公演を行いました。

大正から昭和の初めにかけて、奇術界の頂点に立ったのは天勝でした。彼女は寸劇や舞踊などを取り入れた公演を行い、なかでも水芸は代表作となりました。水芸はそれまでは男性演者が演じるものでしたが、天勝によってあでやかな和服の女性が演じるものというイメージが定着しました。

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