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近世浪花の遊里

堺の遊里(ゆうり)-乳守(ちもり)-

堺にも古くから遊里がありました。『夏祭浪花鑑』に登場する遊女・琴浦(ことうら)がいた 乳守の廓の様子を覗いてみましょう。

『和泉名所図会』巻之1「堺乳守傾城廊」 秋里籬嶌 著 竹原春朝斎 画

『和泉名所図会』巻之1「堺乳守傾城廊」
秋里籬嶌 著 竹原春朝斎 画
(国立国会図書館所蔵)

堺の遊里は、豊作を祈願する住吉大社の御田植神事(おたうえしんじ)のために長門国(ながとのくに:現在の山口県の西部)から植女(うえめ)として呼び寄せられた女たちが、そのまま定住して遊女となったという伝承を持ち、江戸時代よりはるか前から賑わっていました。

織豊時代(しょくほうじだい:安土桃山時代とも)頃、「天女の寝姿」と呼ばれた堺港を目前に、堺は自由都市で、物流も人的交流も盛んでした。江戸時代には、堺はちょっと足をのばした行楽地、また、住吉大社参詣のついでに立ち寄ることができたからでしょうか、堺の遊廓(ゆうかく)の名が広まりました。高須町(たかすちょう)および東半町(ひがしはんちょう)あたりが、通称「乳守の廓(くるわ)」です。「乳守の廓」は、遊女が髪を切ったり手の指先を切り落としたりして、客への真実・真心を表す「心中立(しんじゅうだ)て」をする、つまり遊女の情が濃いことで知られていました。乳守は格式を備えた遊里として、最上位を保っていました。

『夏祭浪花鑑』に登場する琴浦は、乳守の遊女で身請けされた設定。初段の舞台「お鯛茶屋(おたいぢゃや)」も、実在した茶屋です。戎島(えびすじま)は、延享5年(1748年)頃より茶屋が繁盛し、なかでも有名であったのが「お鯛茶屋」でした。


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