歌舞伎編「黙阿弥」

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作品の紹介

黙阿弥作品辞典

ここでは、黙阿弥が残した数々の作品の概要を知ることができます。※ 「代表作品」で詳しく解説している作品も掲載しております
もくじ
江戸期の作品
明治期の作品

樟紀流花見幕張(くすのきりゅうはなみのまくばり) 通称「慶安太平記(けいあんたいへいき)」「丸橋忠弥(まるばしちゅうや)」

【初演年】明治3年(1870年)3月 【初演座】守田座 【ジャンル】時代物

豊原国周画
『花菖蒲慶安実記』
明治27年(1894年)5月
明治座再演時のもの
丸橋忠弥に扮する初代市川左團次

 黙阿弥55歳のときの作品です。
 初演は、初代市川左團次(いちかわさだんじ)が鞠ヶ背秋夜(まりがせしゅうや:丸橋忠弥[まるばしちゅうや])、4代目中村芝翫(なかむらしかん)が宇治常悦(うじのじょうえつ:由井正雪[ゆいしょうせつ])、2代目澤村訥升(さわむらとっしょう、のちの4代目助高屋高助[すけたかやたかすけ])が音川修理之助勝元(おとがわしゅりのすけかつもと:松平伊豆守[まつだいらいずのかみ])、3代目中村仲蔵(なかむらなかぞう)が弓師・宗四郎(そうしろう:藤四郎[とうしろう])に扮しました。初演時は人名をはばかっていましたが、明治8年(1875年)5月の再演からは史実に基づいた時代設定に改訂され、実名での上演となりました。
 楠正成(くすのきまさしげ)の末裔(まつえい)・由井正雪は、鎌倉に道場を開いて軍学指南をしながら、一味4千余人を集め、ひそかに幕府の転覆を企てています。
正雪の同志・丸橋忠弥は、大酒に酔ったふりをして江戸城の堀に石を投げ、水深を測ろうとしますが、老中・松平伊豆守に見とがめられます。
忠弥が酒びたりの日々を送っているところへ、忠弥の女房・お節(おせつ)の父で弓師の藤四郎が、仕官のために用立てた2百両の借金の催促(さいそく)に来ます。藤四郎がお節との離縁を迫るので、忠弥は幕府転覆の陰謀を打ち明けます。これを聞いた藤四郎は安心したふりをして伊豆守のもとへ訴人(そにん)に走り、伊豆守の差し向けた捕手が来て、忠弥は立廻り(たちまわり)の末捕らえられ、一味の企てはもろくも破れるのでした。
 初演の本名題は『樟紀流花見幕張』でしたが、左團次の丸橋忠弥が評判で、現在は丸橋忠弥の筋を中心に『慶安太平記(けいあんたいへいき)』の名題で上演されます。特に「裏手捕物(うらてとりもの)の場」のスピーディかつ写実的な立廻りが見どころです。

増補桃山譚(ぞうほももやまものがたり) 通称「地震加藤(じしんかとう)」

【初演年】明治6年(1873年)9月 【初演座】村山座 【ジャンル】活歴物

豊原国周画
『増補桃山譚』
明治29年(1896年)1月
歌舞伎座再演時のもの
加藤清正に扮する9代目市川團十郎

 黙阿弥58歳のときの作で、明治2年(1869年)8月に市村座で初演された自作の『桃山譚(ももやまものがたり)』を増補、豊臣秀次(とよとみひでつぐ)の乱行が豊臣秀頼(とよとみひでより)を跡目に就かせるための狂言であったという筋を加えたものです。先行作の『桃山譚』は「新歌舞伎十八番(しんかぶきじゅうはちばん)」のうち9代目市川團十郎(いちかわだんじゅうろう)の制定した最初の作品で、活歴物の先駆的作品です。
 初演(『桃山譚』)は、7代目河原崎権之助(かわらざきごんのすけ、のちの9代目市川團十郎)が佐藤正清(さとうまさきよ)、2代目尾上菊次郎(おのえきくじろう)が幸蔵主(こうぞうす)、3代目関三十郎(せきさんじゅうろう)が真柴久吉(ましばひさよし)に扮しました。また『増補桃山譚』では権之助改め河原崎三升(かわらざきさんしょう)が豊臣秀次と加藤清正(かとうきよまさ)、5代目市川門之助(いちかわもんのすけ)が幸蔵主、中村宗十郎が小早川隆景(こばやかわたかかげ)と太閤秀吉(たいこうひでよし)に扮しました。
 太閤秀吉と淀君(よどぎみ)の間に秀頼ができてから、跡取りである豊臣秀次の乱行が目立つようになります。田中兵部之介(たなかひょうぶのすけ)は料理人・鈴木新助(すずきしんすけ)に、秀次の料理に毒を仕込むよう命じます。秀次は酒宴を催しますが、料理の上に蠅が落ちて死ぬので、取り調べの末新助は討たれます。そこへ小早川隆景が来て秀次に諫言(かんげん:主君の欠点に対し忠告すること)します。秀次は隆景を討つと見せて田中兵部之介を殺します。秀次は、家督を秀頼に譲るためにわざと乱行を重ねたことを隆景に告げ、自ら謹慎するため高野山に向かいます。
 加藤清正[初演では佐藤正清]は、石田三成(いしだみつなり)らの讒言(ざんげん:ありもしない事柄を告げ口すること)により謹慎中の身の上です。しかし大地震が起こったため、主君・太閤秀吉の身を案じた清正は、鎧姿で桃山御殿[伏見城]へと急ぎます。
 城中に清正が真っ先に駆けつけたので、淀君も政所(まんどころ)も喜びますが、秀吉は清正の目通りを許そうとしません。清正は5年間の朝鮮での艱難辛苦(かんなんしんく:非常な困難や苦労)を語ります。政所や尼・幸蔵主は謹慎を解くよう秀吉を説得しますがかないません。
 その後到着した徳川家康(とくがわいえやす)と前田利家(まえだとしいえ)のとりなしによって、秀吉との対面がかないます。清正が豊臣姓を名乗ったことの不審に対し、清正は申し開きをします。清正は許され、再度朝鮮征伐を命ぜられます。
 加藤清正の役柄は、これまでの歌舞伎では赤っ面に錦の裃(かみしも)という敵役の化粧・扮装で演じられることが基本だったのですが、『桃山譚』の清正はひげ面に鎧姿で登場するところに、活歴の特徴が表されています。

梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう) 通称「髪結新三(かみゆいしんざ)」

【初演年】明治6年(1873年)6月 【初演座】中村座 【ジャンル】世話物

庶民の暮らしぶりや初夏の季節感を余すところなく描いた作品で、生世話セリフの巧妙なやり取りが楽しめます。

扇音々大岡政談(おうぎびょうしおおおかせいだん) 通称「天一坊(てんいちぼう)」

【初演年】明治8年(1875年)1月 【初演座】新富座 【ジャンル】時代物

豊原国周画
『扇音々大岡政談』
(左から)
吉田三五郎に扮する初代市川左團次
下男久助に扮する3代目中村翫雀
徳川天一坊に扮する5代目尾上菊五郎
大岡越前守に扮する5代目坂東彦三郎
松平伊豆守に扮する4代目中村芝翫

 黙阿弥60歳のときの作品です。
 初演は、5代目坂東彦三郎(ばんどうひこさぶろう)が大岡越前守(おおおかえちぜんのかみ)、5代目尾上菊五郎(おのえきくごろう)が天一坊(てんいちぼう)、初代市川左團次(いちかわさだんじ)が山内伊賀亮(やまのうちいがのすけ)、4代目中村芝翫(なかむらしかん)が水戸黄門(みとこうもん)に扮しました。
紀州[現在の和歌山県]平野村の坊主・法沢(ほうたく)は、村の老婆・お三婆(おさんばばあ)の娘が将軍吉宗(よしむね)の寵愛(ちょうあい)を受け、その子どもを宿したものの死産し、娘も亡くなったことを知り、お三婆を殺して落胤(らくいん:身分の高い人の隠し子)であるという証拠の品を盗みます。法沢は浪人・山内伊賀亮らを味方に付けて、将軍の落胤・天一坊と称して江戸へ乗り込みます。大岡越前守は老中らの機嫌を損ね謹慎処分を受けたり、伊賀亮を取り調べるものの巧みな弁舌に言い負かされたりと、苦労を重ねつつも、ついに平野村に赴いた手下が得た証言によって、天一坊が法沢であることを暴くのでした。
 享保13年(1728年)、将軍・徳川吉宗(とくがわよしむね)の落胤と称する天一坊という人物が、人々から金品をだまし取る事件が発生。この天一坊事件は、名奉行大岡越前守の大岡裁き(おおおかさばき)として実録本や講釈(こうしゃく:近代以降[講談(こうだん)])で流行し、歌舞伎でもたびたび演じられました。黙阿弥は明治維新以前にもこの題材で作品を書いていますが、明治期(1868年~1912年)になって書かれたこの作品は、題名の「おうぎびょうし」という言葉が示すように、神田伯山(かんだはくざん)の講釈[講談]『大岡政談(おおおかせいだん)』から脚色しなおして、天一坊や大岡越前守などの実名が用いられています。

西南雲晴朝東風(おきげのくもはらうあさごち) 通称「西南戦争(せいなんせんそう)」

【初演年】明治11年(1878年)2月 【初演座】新富座 【ジャンル】散切物

豊原国周画
『西南雲晴朝東風』
(左から)
岸野利秋に扮する初代市川左團次
簑原国元に扮する5代目尾上菊五郎
西條の一子に扮する2代目尾上菊之助
西條高盛に扮する9代目市川團十郎

 黙阿弥63歳のときの作品です。
 明治10年(1877年)、西郷隆盛(さいごうたかもり)をリーダーとする九州の士族による反乱が起き、政府軍との激戦は8ヶ月に及びました。この日本最後の内戦・西南戦争は、戦地である九州から遠く離れた東京や大阪でも人々の注目を集め、戦争の終結後、明治11年(1878年)1月に東京の小芝居で西郷隆盛の決起から切腹までを描いた芝居が上演されています。当時、第一級の劇場だった新富座(しんとみざ)でも、翌月には黙阿弥作の西南戦争劇が上演されました。
 初演は、9代目市川團十郎(いちかわだんじゅうろう)が西條高盛(さいじょうたかもり、史実の西郷隆盛)、初代市川左團次(いちかわさだんじ)が岸野利秋(きしのとりあき、史実の桐野利秋[きりのとしあき])、5代目尾上菊五郎(おのえきくごろう)が簑原国元(みのはらくにもと、史実の篠原国幹[しのはらくにもと])に扮しました。
 西條高盛や岸野利秋、簑原国元といった反乱軍の人々の奮戦を中心としたものです。現在も上野公園にある銅像でお馴染みの、西條が犬を連れた姿で登場する場面もあったといいますが、残念ながら台本は残っていません。この芝居で西條高盛を演じた團十郎は、西郷の号「南洲(なんしゅう)」をもじって「團洲(だんしゅう)」と呼ばれました。
 黙阿弥は本作以外に、明治維新の際の上野戦争(慶応4年[1868年])も芝居にしており、当時の社会問題でもあった多くの没落士族を主人公にした作品をたびたび執筆しています。同時代の社会の動きに敏感な黙阿弥の一面がうかがえます。

人間万事金世中(にんげんばんじかねのよのなか) 通称「金の世の中(かねのよのなか)」

【初演年】明治12年(1879年)2月 【初演座】新富座 【ジャンル】散切物

楊州周延画
『人間万事金世中』
(左から)
寿無田宇津蔵に扮した初代市川左團次
おくらに扮した8代目岩井半四郎
毛織五郎右衛門に扮した9代目市川團十郎
恵府林之助に扮した5代目尾上菊五郎
門戸の手代藤太郎に扮した初代坂東家橘

 黙阿弥64歳のときの作品です。
 初演は、5代目尾上菊五郎(おのえきくごろう)が恵府林之助(えふりんのすけ)、初代市川左團次(いちかわさだんじ)が寿無田宇都蔵(すなだうつぞう)、9代目市川團十郎(いちかわだんじゅうろう)が毛織五郎右衛門(けおりごろえもん)、3代目中村仲蔵(なかむらなかぞう)が辺見勢左衛門(へんみせいざえもん)に扮しました。
 恵府林之助は、父が商売に失敗して亡くなったために、伯父である辺見勢左衛門の家に身を寄せていますが、この一家は勢左衛門を始め強欲な人間ばかりで、林之助は肩身の狭い思いをしています。そんな林之助に好意を寄せ、親切にするのは、この家に居候をしている勢左衛門の妻の姪・おくら。ある日、長崎に住む親戚が亡くなり、その遺産配分のために毛織五郎右衛門が訪れます。大金が転がり込むことを期待した勢左衛門の意図に反し、遺言状の内容は遺産の大部分の2万円を林之助に譲るというものでした。自分のもとを離れて店を持った林之助に対し、勢左衛門は急に態度を変え、ぜひ婿にと強引に頼み込みます。林之助が困るところへ寿無田宇津蔵が訪れ、林之助の父の借金2万円の返済を迫ると、林之助はあっさりと返してしまいます。再び文無し(もんなし)に戻った林之助に、勢左衛門はまたもや冷たい態度を取って縁を切りますが、実はこれは勢左衛門を試す林之助の計略で、林之助は五郎右衛門に引き取られたおくらと結婚します。驚く勢左衛門に、林之助たちは金よりも大切な人の道を諭すのでした。
 この作品は、英国の作家ブルワー=リットンの喜劇『マネー』の筋を福地桜痴(ふくちおうち)から伝え聞いた黙阿弥が、日本を舞台とした散切物に脚色したもので、登場人物の名前も、エヴリンが恵府林之助、クララがおくらなどとされています。

天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな) 通称「河内山(こうちやま)」「直侍(なおざむらい)」

【初演年】明治14年(1881年)3月 【初演座】新富座 【ジャンル】世話物

河内山宗俊や片岡直次郎などの悪党が描かれた世話物で、明治時代に入り、失われつつあった江戸情緒を描いた作品です。

土蜘(つちぐも)

【初演年】明治14年(1881年)6月 【初演座】新富座 【ジャンル】舞踊劇

歌川周重画
『土蜘』
(左から)
狂言師に扮した9代目市川團十郎
土蜘の精に扮した5代目尾上菊五郎
平井保昌に扮した初代市川左團次
源頼光に扮した初代坂東家橘

 黙阿弥66歳のときの作品です。
 能『土蜘蛛(つちぐも)』を原作とする長唄(ながうた)の舞踊劇で、松羽目物(まつばめもの:能・狂言に題材を取った舞踊劇で、背景に能舞台を模した松羽目を用いるもの)の代表作のひとつです。作曲は3代目杵屋正次郎(きねやしょうじろう)、振付は初代花柳寿輔(はなやぎじゅすけ)。初演は、5代目尾上菊五郎(おのえきくごろう)が僧の智籌(ちちゅう)実は土蜘の精、初代坂東家橘(ばんどうかきつ)が源頼光(みなもとのらいこう)、初代市川左團次(いちかわさだんじ)が平井保昌(ひらいやすまさ)に扮しました。
 病にふせる源頼光の元へ、家臣の平井保昌が見舞い、侍女の胡蝶(こちょう)は薬を届けます。夜になり頼光の病床へ現れた怪しい僧は、比叡山(ひえいざん)の智籌と名乗り、病気が治るよう祈祷(きとう)を始めますが、太刀持ちに映った影が人間のものではないことを見破られます。土蜘の精の本性を現した智籌は、頼光が源氏に伝わる名剣膝丸(ひざまる)で斬り付けると姿を消すのでした。物音に驚き駆けつけた保昌は、頼光の四天王(渡辺綱[わたなべのつな]、坂田公時[さかたのきんとき]、碓井貞光[うすいのさだみつ]、卜部季武[うらべのすえたけ])とともに、血汐(ちしお)の跡をたどって土蜘の塚を発見し、日本を魔界にしようと企んでいた土蜘の精を見事退治します。
 この作品は、5代目尾上菊五郎が祖父・3代目尾上菊五郎の三十三回忌追善に演じたもので、3代目菊五郎やその養父・初代尾上松助(おのえまつすけ)も土蜘の精の役を勤めていますが、能楽師(のうがくし)に指導を受けて能により近い演出を取ったところに、明治という新時代の雰囲気が反映されています。
 歌詞には、原作『土蜘蛛』の謡曲(ようきょく:能の詞章のこと)をそのまま引用した部分も多くありますが、頼光に望まれ胡蝶が都に近い山々の紅葉の様子を物語る舞などは黙阿弥のオリジナルで、正次郎のすぐれた作曲もあり、現在でもたびたび上演されています。

極付幡随長兵衛(きわめつきばんずいちょうべえ) 通称「湯殿の長兵衛(ゆどののちょうべえ)」

【初演年】明治14年(1881年)10月 【初演座】春木座 【ジャンル】世話物

3代目歌川国貞画
『幡随長兵衛』「湯殿」を描く
(左から)
夢の市郎兵衛に扮する初代市川猿之助
放駒四郎兵衛に扮する5代目市川新蔵
幡随[院]長兵衛に扮する9代目市川團十郎
水野十郎左衛門に扮する初代市川権十郎

 黙阿弥66歳のときの作品です。
 初演は、9代目市川團十郎(いちかわだんじゅうろう)が幡随長兵衛(ばんずいちょうべえ)、市川権十郎(いちかわごんじゅうろう)が水尾[野]十郎左衛門(みずお[の]じゅうろうざえもん)に扮しました。
 題材は、江戸時代初期の侠客(きょうかく:町の顔役)として知られる幡随院長兵衛(ばんずいちょうべえ)と、身分のある武士ながら市中を騒がせた旗本奴(はたもとやっこ)の大小神祇組(だいしょうじんぎぐみ)[劇中では白柄組(しらつかぐみ)とされる]に属する水野十郎左衛門(みずのじゅうろうざえもん)とが争い、長兵衛が殺された歴史上の事件です。
 村山座で上演中の芝居を、酒に酔った侍(さむらい)が邪魔して、留場(とめば:場内整理係)の若い者の制止がきかないところへ、現れた幡随長兵衛が場をみごとに治めたため、芝居を続けることができました。しかし、その侍は水野十郎左衛門の配下の者で、観客として芝居を見に来ていた水野は、顔をつぶされたことをくやしく思いながら長兵衛と顔を見合わせます。帰宅した長兵衛は、水野からの呼び出しで訪ねて行けば必ず殺されるだろう、と覚悟をします。妻や子ども、子分たちが行かないように強く止めますが、長兵衛は意地でも行かねばならないと言い、羽織袴に着替えてひとりで出かけます。
 水野の屋敷では、食事の席でわざと服に酒をこぼされ、風呂に入るようすすめられた長兵衛が浴衣に着替え、刀を置いて無防備になったところで、殺されてしまいます。
 この作品の長兵衛は、侠客の親分としての度量の大きさより、人間らしさをより強く感じさせる長兵衛です。初演した9代目市川團十郎(いちかわだんじゅうろう)は、湯殿で殺される時のうなり声を、養父・6代目河原崎権之助(かわらざきごんのすけ)が強盗に殺された時、隠れて聞いた声をもとに工夫したとも伝えられています。
 なお、初演では、互いの後援している相撲の力士同士の争いが演じられましたが、現在は、相撲にかわって序幕の劇中劇として『金平法問諍(きんぴらほうもんのあらそい)』が途中まで上演されます。これは黙阿弥の弟子で3代目河竹新七(かわたけしんしち)によって書替えられたものです。

島鵆月白浪(しまちどりつきのしらなみ) 通称「島鵆(しまちどり)」

【初演年】明治14年(1881年)11月 【初演座】新富座 【ジャンル】散切物

主要人物がすべて盗人で、最後には全員が改心する話です。2代目河竹新七(かわたけしんしち)こと黙阿弥の引退披露時の力作で、散切物の代表作でもあります。

新皿屋舖月雨暈(しんさらやしきつきのあまがさ) 通称「魚屋宗五郎(さかなやそうごろう)」「新皿屋敷(しんさらやしき)」

【初演年】明治16年(1883年)5月 【初演座】市村座 【ジャンル】世話物

酔った宗五郎は磯部の屋敷へ暴れこむ
「片門前魚屋宗五郎内の場」

 黙阿弥68歳のときの作品です。
 初演は、5代目尾上菊五郎(おのえきくごろう)が魚屋宗五郎(さかなやそうごろう)と妹・お蔦(おつた)の2役に扮しました。
 磯部主計之介(いそべかずえのすけ)は、家を乗っ取ろうとする悪い家来の計略にはまり、側仕え(そばづかえ)のお蔦が不義密通をしたと誤解して斬り殺してしまいます。一方、芝片門前(しばかたもんぜん)に住むお蔦の兄・魚屋宗五郎は酒乱なので、酒を断っています。しかし、磯部の屋敷から使いに来た部屋方・おなぎが、お蔦が磯部に斬られたことを話すと、つらさに耐えきれず、おなぎが持ってきた酒を飲んで正気を失います。そして父・太兵衛(たへえ)や妻・おはまが止めるのも聞かずにかけだし、磯部の屋敷に暴れ込み、「呑んで言うのじゃござりませんが」と妹を殺された無念な気持ちを述べます。無礼者としてお手打ちにされそうになりますが、家老・浦戸十左衛門(うらとじゅうざえもん)のとりなしで許され、玄関先で眠ってしまいます。
 酔いがさめた宗五郎は、磯部の屋敷の庭先に来ていたことを知って、後を追ってきたおはまに叱られます。しかし、主計之介が誤解からお蔦を切り殺したことを詫び、弔料(とむらいりょう)を出して父・太兵衛に二人扶持(ににんぶち)を与えると約束すると、それを受け入れて帰っていくのでした。
 この作品の見どころは、宗五郎がやめていた酒を、はじめは湯呑み、次に酒を注ぐ片口(かたくち:一方にだけつぎ口のある鉢)、最後は角樽(つのだる)から直接飲んで、だんだん酔っていく様子を演技で見せるところと、磯部の玄関口で妹を殺された無念さを述べるところです。この演技は、5代目菊五郎の子の6代目尾上菊五郎(おのえきくごろう)、ついで弟子の2代目尾上松緑(おのえしょうろく)、現在の7代目尾上菊五郎(おのえきくごろう)に引き継がれています。
 現在は、宗五郎が酒に酔う後半の筋が独立して『魚屋宗五郎(さかなやそうごろう)』として多く上演されます。

高時(たかとき) 本名題『北條九代名家功(ほうじょうくだいめいかのいさおし)』

【初演年】明治17年(1884年)11月 【初演座】猿若座 【ジャンル】活歴物

北條家の滅亡を中心に脚色した、活歴物の代表的な作品です。傲慢な高時が天狗に翻弄される場面が幻想的に描かれています。

水天宮利生深川(すいてんぐうめぐみのふかがわ) 通称「筆屋幸兵衛(ふでやこうべえ)」

【初演年】明治18年(1885年)2月 【初演座】千歳座(現在の明治座) 【ジャンル】散切物

幸兵衛が正気を失い、長屋は大騒動
「浄心寺裏貧家の場」

 黙阿弥70歳のときの作品です。
 初演は、5代目尾上菊五郎(おのえきくごろう)が船津幸兵衛(ふなづこうべえ)、初代市川左團次が車夫・三五郎(さんごろう)に扮しました。
武士の船津幸兵衛は、明治開化期の変化についていけず、禄(ろく:給料)の代わりに与えられた公債証書(こうさいしょうしょ)を元手にして始めた商売が失敗、妻も死別し、残された娘と乳飲み子をかかえて貧乏のどん底にいます。筆を作って子を背負い売り歩く途中、剣道師範の荻原良作(おぎわらりょうさく)の家で、その妻・おむらから乳をわけてもらい、金と子どもの着物をもらって喜びます。
 しかし、高利貸しの因業金兵衛(いんごうきんべえ)が借金のかたに、幸兵衛がせっかくもらった金と衣類を残らず奪っていきます。幸兵衛は娘たちに向かって不幸を嘆くうち、碇(いかり)が描かれた水天宮の額を持って背中の子をあやしながら正気を失ってしまい、家を飛び出します。そして子を背負ったまま川へ飛び込みますが、人力車夫(じんりきしゃふ)の三五郎に助けられ、正気に戻ります。さらに新聞に幸兵衛についての記事が載ったため、読者からの恵み金などが届けられ、喜ぶのでした。
 見どころは、幸兵衛が不幸を嘆くうち、背中の子をあやしながら正気を失っていくところです。ここでは、清元の『風狂川辺の芽柳(かぜにくるうかわべのめやなぎ)』が、新年の祝いの曲として隣から聞こえてくる設定で用いられます。陽気な清元の曲と、哀切(あいせつ)な竹本(たけもと:歌舞伎で使用する義太夫節)とが交互に使われることで、幸兵衛の追いつめられていくありさまを効果的に演出します。
 なお、初演の5代目菊五郎は幸兵衛と2役で小天狗要次郎(こてんぐようじろう)という強盗の役もつとめました。要次郎が盗みを働こうと荻原良作の家に押し入ると、良作に捕まり、良作の実の弟であることがわかります。弟子への申し訳が立たないから罪に服するよう説得されて、要次郎は縄にかかります。初演は菊五郎による2役の演じ分けも見どころでした。現在、要次郎の筋はほぼ上演されません。
 この作品は、5代目菊五郎の子の6代目尾上菊五郎(おのえきくごろう)も得意とし、その後も現在にいたるまでさまざまな役者によってしばしば上演されています。6代目菊五郎は、幸兵衛の役作りのために精神病院へ見学に行き、役作りのために爪の間に筆の毛をはさんで舞台に出たこともある、と伝えられています。

四千両小判梅葉(しせんりょうこばんのうめのは) 通称「四千両(しせんりょう)」

【初演年】明治18年(1885年)11月 【初演座】千歳座(現在の明治座) 【ジャンル】世話物

歌川国梅画
『四千両小判梅葉』
(上)燗酒売富蔵に扮する
5代目尾上菊五郎
(下)藤岡藤十郎に扮する
3代目市川九蔵

 黙阿弥70歳のときの作品です。
 幕末に実際に起きた、江戸城の御金蔵(ごきんぞう)を破った強盗事件を題材にしています。初演は、5代目尾上菊五郎(おのえきくごろう)が富蔵(とみぞう)、3代目市川九蔵(いちかわくぞう、のちの7代目市川團蔵[いちかわだんぞう])が藤岡藤十郎(ふじおかとうじゅうろう)に扮しました。
 武士・藤岡藤十郎は辰巳屋の遊女お辰(おたつ)に入れあげて金に困っているところに、むかし自分のところで中間奉公(ちゅうげんぼうこう)をしていて、いまはおでん屋の富蔵に御金蔵(ごきんぞう)破りの相談を持ちかけられ、4千両を盗み出すことに成功します。藤十郎はすぐに山分けしようとしますが、富蔵が藤十郎の家の床下へほとぼりが冷めるまで埋めておこうと言います。
 安政の大地震ののち、藤十郎は安い利息で金を貸す貸附所(かしつけじょ)を開きます。富蔵は自分の分け前を少しずつ藤十郎から受け取っていました。そして、ほぼ自分の分け前を使い果たしたあと、最後に3百両を藤十郎から受け取って母のいる金沢へ行き、そこで捕まります。護送される富蔵は途中の熊谷にある妻と子、舅(しゅうと)が営むうどん屋の前で、籠に入ったまま家族と再会し別れを惜しみます。一方で、藤十郎も役人の手が身近に迫っていることを覚悟し、妻や使用人に暇を出し、身をきれいにしてから捕縛されます。
 富蔵は町人の罪人が入れられる西の大牢(たいろう)で、二番役についています。新入りの囚人として遺恨のある生馬の眼八(いきうまのがんぱち)が入ってきたので、富蔵は懲罰の道具であるキメ板で打ちます。市中引き回しのうえ磔(はりつけ)の刑の言い渡しを受けた富蔵は、藤十郎とともに囚人達に見送られて刑場へ引かれて行くのでした。
 当時、千歳座の興行師・田村成義(たむらなりよし)は、幕末には小伝馬町(こでんまちょう)の牢に勤める役人だったので、奉行所の書類を調査したり、もと囚人を呼んで実際の牢内のしきたりを教えさせるなどして得たものを、作品の内容と演出に生かしました。大詰(おおづめ)の「大牢(たいろう)の場」で行われる囚人の「すってん踊り」や、富蔵が新入りの囚人たちに向かって独特の調子で牢内のおきてを話す「シャクリ」というセリフ、飯を盛るうつわなどの細かいものも、すべてその考証の成果です。初演ではそのリアルさから、「大牢の場」は「獄中の活歴」と評されました。

船弁慶(ふなべんけい)

【初演年】明治18年(1885年)11月 【初演座】新富座 【ジャンル】舞踊劇

知盛の亡霊を弁慶が法力で退散させる

 黙阿弥70歳のときの作で、能『船弁慶』を歌舞伎化したものです。
 能の原曲は観世小次郎信光(かんぜこじろうのぶみつ)が作りましたが、明治3年に吾妻(あづま)能狂言[歌舞伎の演奏で能を演じるなどの折衷芸能です。幕末に狂言方鷺流から興りましたが、一時的な人気に終わりました]で2代目杵屋勝三郎(きねやかつさぶろう)が作曲した長唄(ながうた)をもとに、黙阿弥が歌舞伎にうつしたものです。3代目杵屋正次郎(きねやしょうじろう)が新たに作曲し、初代花柳寿輔(はなやぎじゅすけ)が振り付けました。
 初演は、9代目市川團十郎(いちかわだんじゅうろう)が静御前(しずかごぜん)の前シテと平知盛(たいらのとももり)の後シテ、初代市川左團次(いちかわさだんじ)が武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)に扮しました。
 本作は、9代目團十郎が市川家の芸として自ら制定した「新歌舞伎十八番(しんかぶきじゅうはちばん)」に加えていますが、6代目尾上菊五郎(おのえきくごろう)が演出を再編成してから、上演頻度の高い人気曲になりました。
 九州へ落ちのびることになった源義経(みなもとのよしつね)は、大物の浦(だいもつのうら)から乗船するところで、家来の武蔵坊弁慶に義経の愛妾・静御前(前シテ)をここで都へ帰すよう、いさめられます。静は仕方なく別離に舞を舞って、泣く泣く去っていきました。[この後に船頭らの間狂言をはさみます。]船が海へ出ると、にわかに黒雲が出て嵐になり、海上には、かつて義経が滅ぼした平知盛の亡霊(後シテ)があらわれ、恨みを述べて襲いかかってきますが、弁慶の法力で退散させます。

用語解説
能では主役のことをシテといい、前場(まえば)のシテを前シテ、後場(のちば)のシテを後シテと言います。

盲長屋梅加賀鳶(めくらながやうめがかがとび) 通称「加賀鳶(かがとび)」「盲長屋(めくらながや)」

【初演年】明治19年(1886年)3月 【初演座】千歳座(のちの明治座) 【ジャンル】世話物

4代目歌川国政画
『盲長屋梅加賀鳶』
(左から)
鳶ノ石松に扮した3代目中村伝五郎
鳶ノ巳之助に扮した初代坂東家橘
鳶ノ松蔵に扮した3代目市川九蔵
鳶ノ兼五郎に扮した5代目市川寿美蔵
鳶ノ梅吉に扮した5代目尾上菊五郎

 黙阿弥71歳のときの作品です。
 初演は、5代目尾上菊五郎(おのえきくごろう)が加賀鳶梅吉(かがとびうめきち)と按摩道玄(あんまどうげん)と死神(しにがみ)の3役、初代坂東家橘(ばんどうかきつ)が伊勢屋与兵衛と巳之助(みのすけ)の2役に扮しました。
 加賀鳶の巳之助が定火消(じょうひけし:幕府直属の火消隊)の若い者と大喧嘩をし、仲間が勢揃いして名乗りを上げます。そこへ加賀鳶の頭分・梅吉が止めに入り、その場は治まります。梅吉は、女房と巳之助の不義(ふぎ)を知って怒りますが、やがてその疑いは晴れ、不義を捏造(ねつぞう)した子分の雷五郎次(かみなりごろうじ)は、死神に取りつかれて入水します。一方、偽盲(にせめくら)の按摩道玄は、御茶ノ水で百姓から金を奪ったうえ殺し、その妹を女房にして稼がせ、酒浸りの生活を送ります。さらに姪の奉公先の質屋の主人を作り話でゆすります。しかし、悪事は露顕(ろけん)し、加賀邸の表門で縄にかかります。
 見どころは、「町木戸(まちきど)の場」で加賀鳶が勢揃いし、鳶の粋(いき)な風俗と気風(きっぷ)の良さを存分に堪能し、続く「盲長屋(めくらながや)の場」から「質見世(しちみせ)の場」における悪党道玄の活躍となります。
 この作品は、4代目市川小團次(いちかわこだんじ)が演じた『勧善懲悪覗機関(かんぜんちょうあくのぞきがらくり)』の村井長庵(むらいちょうあん)のような悪党を演じたいという菊五郎の要望が、作品成立のきっかけです。徹底的な悪人の長庵とは異なり、道玄が悪党ながらもどこか抜けていて愛嬌(あいきょう)があるのは、黙阿弥が菊五郎の芸風を鑑(かんが)みてのことでした。その後、6代目尾上菊五郎(おのえきくごろう)が道玄を中心とした筋に加賀鳶の勢揃いを加えた上演方法に再構築して人気レパートリーとなり、初代尾上松緑(おのえしょうろく)と17代目中村勘三郎(なかむらかんざぶろう)を経て現在まで受継がれています。

用語解説
【加賀鳶】
大名火消の1つで、加賀藩お抱えの火消隊。本郷前田邸の防備を任務とし、定火消とは縄張りをめぐっていさかいが絶えなかったそうです。

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