新版歌祭文あれやこれや

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祭文とは

山伏祭文を表す「人倫訓蒙図彙」

山伏祭文を表す「人倫訓蒙図彙」

『新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)』の題名にもある「歌祭文(うたざいもん)」は、江戸時代中期頃、門付けの芸人達により、三味線などを伴奏に歌われた、俗謡の一種です。

もとは、神をまつる宗教的な祭式祭文(さいしきさいもん)が、中世後期から近世初期にかけて、遊芸僧(ゆうげいそう)や山伏(やまぶし)によって俗化され、芸能化されました。もとの山伏祭文は、錫杖(しゃくじょう)を振り法螺貝(ほらがい)を吹いて、神仏の霊験(れいげん)などを語っていましたが、次第に、犯罪事件や心中事件を取り上げるようになり、三味線を伴奏にして、「歌祭文(うたざいもん)」と呼ばれるようになりました。

「お染久松(おそめひさまつ)」「お俊伝兵衛(おしゅんでんべえ)」「三勝半七(さんかつはんしち)」「お夏清十郎(おなつせいじゅうろう)」「おさん茂兵衛(おさんもへい)」「お七吉三郎(おしちきちさぶろう)」「梅川忠兵衛(うめがわちゅうべえ)」「お妻八郎兵衛(おつまはちろべえ)」など、心中事件や犯罪事件[様々な祭文の紹介を参照]。さらに、役者の追善、遊女の名寄せ、名所尽しなどを題材に歌いました。生玉神社(いくたまじんじゃ)境内には、定打(じょうう)ちの小屋を持つものもあり、当時の演劇にも影響を与えています。

お染久松の歌祭文

お染久松の歌祭文
早稲田大学演劇博物館所蔵

お染久松の歌祭文

お染久松の歌祭文
いわゆる「蔵場」部分。
早稲田大学演劇博物館所蔵

歌祭文は一枚刷が版行され、寄せ本も刊行されました。『新版歌祭文』が新版(しんぱん)と銘打ったのは、先行作に対して言うのと、歌祭文の版行の縁からでしょう。後には「でろれん祭文」とよばれて浪花節(なにわぶし)の前身になったともいわれ、説経節(せっきょうぶし)と結びついて「説経祭文(せっきょうさいもん)」も生まれました。

 

お染久松の歌祭文には『あぶらやおそめ久松心中(上)』、『おそめ久松思ひのたね油(下)』[左図参照]、『お染久松恋の祭文』、『お染久松めづくし』など数種知られています。

浄瑠璃『新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)』の冒頭も「敬白(うやまってもうす)」で始まります。歌祭文の「敬って申し奉るよほほ恋に浮名(うきな)を流すなる所は都…」[「敬って申し奉る」は祭文の語り出しの詞(ことば)]を取り入れています。
「なさけのたねをこなすあぶら屋おそめといふて、ひとりむすめのこころはわかめ、うちのこがいの久松と」
や、
「所はみやこの東堀、聞いて鬼門の角屋敷、瓦屋橋とや油屋の一人娘にお染とて、心も花の色ざかり、歳は二八(にはち)の細眉に、内(うち)の子飼(こが)いの久松が、しのびしのびに寝油と、親たち夢にも白絞り(しらしぼり)」
など歌祭文の歌詞が残っています。

 

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歌祭文・説経祭文。辻法印などといわれた山伏の街頭芸能。錫杖の上部についている金錠を振り鳴らし、文句にあわせて、合間に法螺貝を吹きます。その法螺貝の音が「デロレンデロレン」と聞こえるところから、この名称がつきました。後に小屋がけから寄席芸(幕末から明治初年)となり、浪花節(浪曲)に展開します。



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