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作品紹介

天竺徳兵衛韓噺

概要
あらすじ
鑑賞のポイント
舞台映像
徳兵衛が「異国話」を話している場面
「京都、吉岡宗観邸の場」
徳兵衛が大蝦蟇に乗って現れる場面
「京都、吉岡宗観邸の場」
座頭徳市に変装して木琴を弾いている場面
「京都、梅津掃部邸の場」

序幕 吉岡宗観邸(よしおかそうかんやしき)の場

将軍・足利義政(あしかがよしまさ)の時代(1449年~1473年)のことです。豊後(現在の大分県)の佐々木家の若殿・桂之助(かつらのすけ)は「浪切丸(なみきりまる)」を紛失し、吉岡宗観(よしおかそうかん)の邸宅に押し込められています。
吉岡邸に異彩を放つ男が連れて来られます。播州高砂(現在の兵庫県高砂市)の船頭である天竺徳兵衛(てんじくとくべえ)です。東北地方や蝦夷地(えぞち:現在の北海道)の物産を運ぶ北国船(ほっこくぶね)の船頭でしたが嵐のために吹き流されて漂流し、唐天竺(からてんじく:中国・インド)を経巡(へめぐ)って帰国した男でした。徳兵衛は珍しい「異国話」をおもしろおかしく話します。
吉岡宗観は朝鮮国に仕えた木曽官(もくそかん)という外国人でした。日本に侵略された恨みをはらすために密かに来日して復讐の機会を待っていたのです。徳兵衛は吉岡宗観の息子・大日丸(だいにちまる)であったことを知らされ、日本国転覆の野望を受け継ぐために蝦蟇の妖術を伝授されました。徳兵衛は大蝦蟇に乗って大屋根の上に現れ、屋敷を押しつぶします。

同 裏手水門(うらてすいもん)の場

吉岡邸の裏手の水門から吉岡宗観の首をくわえた大きな蝦蟇が現れました。蝦蟇の正体は徳兵衛でした。徳兵衛は吉岡邸を脱出、行方をくらませます。

大詰 梅津掃部邸(うめづかもんのやしき)の場

徳兵衛は越後(新潟県)の座頭・徳市(ざとう・とくいち)に変装して、京都の梅津掃部邸(うめづかもんのやしき)に現れました。南蛮渡来の楽器・木琴(もっきん)を弾きながら歌を披露します。しかし、将軍の上使・細川政元(じょうし・ほそかわまさもと)に正体を見破られ、徳兵衛は庭前の泉水(せんすい)に飛び込んで姿をくらまします。
その時、もうひとりの上使が現れました。徳兵衛が変装した斯波左衛門義照(しばさえもんよしてる)です。梅津掃部の奥方・葛城(かつらぎ)は巳の年・巳の月・巳の日に生まれました。色仕掛けで徳兵衛に近づいた葛城の巳(へび)の年月日の揃った生血(いきち)により、徳兵衛の蝦蟇の妖術は挫(くじ)かれてしまいました。「浪切丸」を取り戻し、佐々木家はめでたく再興し、徳兵衛は必ず戻ってくることを誓い、幕となります。

『天竺徳兵衛韓噺』は、初演のときは全5幕の長編で、物語の背景も足利将軍ではなく関白太閣秀吉でした。
ここでは、現在上演されている場面を中心に、「あらすじ」を紹介しています。
なお、初演時の台本は伝えられていません。

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